宮川 輝雄
神奈川県の三浦半島・三崎港でマグロの卸を始めた父の元で修業をして38年前に独立。横浜でマグロ卸の店を開き、仲買として名うての目利きとなっていく。
1日400本のマグロを見て、納得いかなければ入札しない日もあるほど。
三浦半島の宮川町、マグロ屋の三男として生まれ、子供の時から父親の下でマグロとともに育つ。
だから、何も疑わずにごく自然にこの道へ入り、31歳の時に一人前の「目利き」として独立。
しかし、独立したばかりの頃、意気盛んにセリ場を闊歩していたある日、皆からは校長先生と呼ばれているあるおっさんに「バカヤロウ!こんなマグロを売っていたらお客さんが逃げていくぞ!」と一喝される。
父親とも親しいその校長先生と呼ばれていた人は出口忠則さんという目利きの神様だった。
今考えても不思議な縁で、宮川は出口さんにくっついて歩くようになった。
他の人がセリ落とした後のマグロの尻尾をひっくり返したり、つまんでみたり、その色合いや感触を身体に焼き付けた。
そうして、宮川はマグロの目利き名人への階段を少しずつ上り始めた。
15年ほどで目利きに変化が見られ、特徴を捉えておいしい魚を見極めることができるようになった。
夢でも身を揉んでいるくらい没頭している。
現在、宮川輝雄の名は東京の料理人の間にも轟き渡っている。
「出口さんに出会わなかったら今の自分はいません。今でも師匠にはとても敵わないです。時々天国から怒鳴り声が聞こえるようです。」
メディア掲載
食の未来構想ラボ
「キセキのマグロ」その味を世界に広めたい
日刊水産経済新聞